「言葉」という道具の絶対的な不完全性
もし私たちに言葉がなかったら、と、ふと考えます。
まず意志疎通が図れなくなりますね。にっこり笑って(
でも言葉だって、その性質からしてとても不完全なものです。
これはどういうことか。例えばですね、私があなたに、「
当たり前ですけどね、
「消しゴムを拾った」
だから、もし言葉がなかったら、自然発生的に、
情景も、感情も、思考も、
金のかからない非日常体験
こんにちは。第二回目です。前回、
「認識を変えたい」という表現をしていますが、
認識を変えたいという願望は、
だから他者の認識で世界を認識するのは諦めるとして、
そんなわけで、私は認識を変えたい変えたいと、
世界に飽きたら絵本に逃げろ
はじめましてこんにちは。一方的に話したいことを話すブログ、一方放送です。今回は第一回目ということで、退屈に飽きた全人類に一つ提案したいと思います。
毎日毎日似たような日々、朝起き着替えて出勤し、仕事で疲れて帰って眠る。まあこれは一例に過ぎませんが大抵の人は何らかのルーチンが続いていると思います。退屈ですね、刺激がほしい。ちなみに私自身は刺激的エブリデイを楽しんでおりますが、それはさておき、どう退屈を打破するかということです。タイトルにも記しましたが、みなさん絵本に逃げましょう。
絵本です、絵本というと何が思い浮かびますか?雲はわたあめ小鳥のおしゃべり、風は喧嘩し空は泣く。メルヘンですね、メルヘン過ぎるかもしれません。現実ではありえません、だって雲は蒸気で小鳥は本能、風も雨も大いなる自然現象ですから。これがいつもの世界、みなさんのルーチンを支える当たり前の世界ですね。
でも、それをいちいち確認しているわけではないでしょう。つまり実感でなく知識としてこの世界は認識されているのです、雲が蒸気であることを日常で実感することはないですからね。みなさんが実感するのは五感でとらえられる範囲のみです、雲が白くてふわふわしてんな、小鳥チュンチュン鳴いてんな。
じゃあ雲がわたあめでも小鳥が何言っててもよくないですか?
風に揺れる葉っぱを「ガラスだ」って思うのは難しいですけど、雲がわたあめだって思うことは簡単なんですよ。五感でどうとらえられるかは騙せなくても、認識はその気になれば騙せるからです。そして雲がわたあめだと思った瞬間に、みなさんは雲が蒸気である世界から脱するわけです。ルーチンの根本にある現実世界からね。これで一つの退屈が打破されます。
雲がわたあめでもいいんだ、と思えると、小鳥が下ネタで盛り上がってても、風が綿毛を奪いあってても、空が太陽に怒られて泣いてても、なんでもよくなります。今この瞬間に確認しえないことは、今この瞬間にどうあることも可能だからです。こうして退屈がひっくり返っていくというわけです。みなさんはすでに違う世界にいて、無限の世界を持ちました。
おめでとうございます。